音楽談義室

音楽とか文学とか完全に趣味を語るブログ

世界のクロサワ

 昨日映画を見た。といっても、選択授業で文学を選択しているので、それの企画である。んで作品はというと

 

 「生きる」

 

 世界のクロサワとも称される黒澤明監督の代表作。実を言うと、最初私はあまり乗り気ではなかった。何故なら白黒だから。産まれた時からカラーテレビの普及率が95%を越えていた私の世代からすれば、白黒=歴史的遺産であり、もはや過去のものというイメージが先行してしまうからだ。しかし、終わったときは全く感想が大きく変わった。というか、途中から白黒であることを忘れていた。そのくらい熱中していた。こんなに映画にのめり込んだのも中々ない。上映前に先生が「隅々までに監督の工夫がある」とおっしゃっていたが、その通りである。小道具一つ取っても、形・場所・光の当て形で大きく印象は変わる。それを強く感じた。

 

 

 

 

~~以下ネタバレ入ります~~

 

 

 

 

 

 物語はとある市役所から始まる。判子を押すだけの、なんら「生き」ているように感じられない、そんなすっかり擦りきれてしまった主人公。そんな主人公はある日、末期の胃ガンであることを知る。そこから彼は「生きる」とは何か、何の為に「生きる」のか、そうした尊厳を追い求めて抗う物語である。最期はお役所仕事ばかりの市役所を取りまとめ、公園を作って、その公園で息絶える。しかし、ここは世界のクロサワ。そうハッピーエンドには終わらない。主人公の姿に憧れた市役所の人々もいたが、結局一人を除いて、また元のお役所仕事に戻ってしまう。そう、一人を除いて。

 

 ここからは最も印象的だったシーンを挙げて、それについて語る。それはとよ(主人公の市役所の部下であり、若い女性。人間らしい生き方を求めて、市役所を退職した)に主人公がもう命が長くないことを語るシーンである。その時にとよは、自分の工場で作る、ぜんまい式の子供用の玩具を見せる。すると主人公は「まだ間に合う」と言って、外へと飛び出す。その時に、隣の団体がハッピーバースデーの歌を歌っているのだ。これは本当の意味で主人公が「生きる」ことを決意した、つまりようやくここから主人公が「生き」始めたことと重なる。こういう演出は流石だなぁと感じた。そして最後のシーン。主人公の姿を心を打たれた者が多くいたのに、結局木村という情熱的な男を除いてお役所仕事に戻ってしまう。人一人が与えられる影響というのは所詮儚いのだ。しかし、木村という男にとっては、大きな影響だっただろう。人の命は限りがあり、その終わりはいつ来るかわからない。私だって明日ぽっくり死ぬかもしれない。その時に心から「生きる」ことが出来たと胸を張って言えるか?主人公のように「生きる」ことが出来るのか?それに対して木村のように共感し、毎日を尊んで「生きる」ことが出来るのか?今日も当たり前のように「生きる」ことが出来ていることに、胸に手を当てて強く感謝したい。

 

 今回でかなり黒澤明監督の映画に興味を持ったので、夏にまた別の作品を見るかも。ではではー。