音楽談義室

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大学の学士会に参加した話

 大学の学士会に参加してきた。こうした敷居の高いものに参加するのは初めてだし、なにせいっつも富士吉田にいるので、旗の台校舎の構造がわからない。久々にスーツを出して、しっかり正装。


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しっかりと近くで腹ごしらえして、いざ参加。お忍びで行く予定が、自分が座った席の左後ろに普段お世話になっている教授で、あっさりバレるハプニングもあった。そんなこんなで学士会を見てきた。以下、本名を書くが、守秘しなくてはならない部分があると指摘された場合は削除する。もっとも、学士会で発表している時点である程度拡散されるのは想定しているだろうし、むしろ自分の研究内容は積極的に知ってほしいという人の方が多いだろうから大丈夫だとは思うが。

 

1.加藤先生

 薬学部の加藤先生の発表。全く知らない先生の講演だった。内容は臨床におけるがん治療についての発表であった。cfDNAというがん細胞が持っているDNAがあり、血中にそれが漏れ出ることを感知することで早期治療につなげるということだ。今までは血中だけだったが、最近は尿中で判断できるようになったらしい。さらに、サンプル数を増やすことでより精密な検査ができることもわかった。血液でいえば、10mlよりも5Lの方が判定しやすいということだ。この話を聞いて思ったのは、研究について力を入れはじめているということだ。筆者の大学は臨床医学を軸として創設された大学であるので、研究は劣る部分がある。他の大学ならば、例えば京大の山中先生みたいな人は少ない。そうした人を大学から輩出したいという意図が強く伝わった。

 

2.田中先生

 普段から様々な部分でお世話になっている先生。今回は相対的なヒューマニズムを、歴史を紐解いたあと、ドイツの作家のヘルダーリン東日本大震災宮崎駿と絡めて解説を行っていた。大部分は文学の授業で説明されていた部分だったが、再度理解することができた。ヒューマニズムという言葉は古代の「フマニタス」という言葉が元になっている。人間中心主義として語られるヒューマニズムは、その言葉自体が産まれたのは18世紀だが、考えは古代ローマにさかのぼる。まず、古代でフマニタスという考えが生まれるのが第一の転換期である。だが、これは中世ヨーロッパの暗黒時代に一度消されてしまう。神>人という揺るがぬ基盤が築かれ、人は神に跪くことでのみでしか救われないとされたからだ。しかし、ここでペストが流行り、それに対しての教会の策があまりにも陳腐であった(免罪符を出すしかなかった)ことによって、フマニタスの再評価がなされる。これが第二の転換期である。次に、18世紀のフランス革命を皮切りに王政中心主義に別れを告げ、市民中心の政治へとシフトしていった。しかしながら、今まで世界の中心として機能したことのなかった市民達はどのように政治のタクトを振ればいいかわからない。そこで、古代ギリシャのフマニタスが再評価された。これが第三の転換期である。そして、現代社会は第四の転換期、つまり「モダンの終焉」を迎えていると解説を行っていた。ヘルダーリンは18世紀の作家、つまり第三の転換期の人物であるのにも関わらず、この第四の転換期へ示唆的な作品を意図せず残している。彼の著書の「ヒュペーリオン」では「耕作をすべき」、さらにその後の自然賛美に象徴されるように、自然との関わりを綴っている。現代はどうか。となりのトトロの記事でも書いたが、自然は破壊され、人間に便利な生活となった反面、そんな本来のバランスを打ち壊してしまったことで精神衛生は悪化した。鬱病統合失調症は昔に比べて増えて、特に日本では社会問題になっている。叩いても平気な人間だけ残って、他は淘汰されればよいという過激な意見もあるが、それは果たして正解なのか?また、自然破壊を繰り返す社会への解決策として、消費を更に促して、社会をより回すことは中世ヨーロッパの免罪符と重なるのではないか?資本主義は限界にきている。もちろん、社会主義を受け入れるつもりはない。歴史を紐解けば、社会主義で破綻した国々の屍が多数あるからだ。簡単には答えが出せないが、資本主義の人間としての向上性を維持しながら自然と共存する方法を模索する必要があるだろう。それまでの「人間だけ」大事という絶対的ヒューマニズムから、「人間も」大事という相対的ヒューマニズムへのシフトが求められる。

 

3.岩波先生

 一番楽しみにしていた発表だ。昭和大学烏山病院の精神科医院長。権威があり、多くの著書とメディア出演をしている日本の精神病第一人者だ。特に、発達障害については深い知見がある。筆者も今回の発表に際して、岩波先生の著書の一つである「発達障害」を読了してきた。内容はASDADHDの対比や、臨床現場での実例の紹介であった。ASDADHDは概ね著書通りの説明がなされた。ASDADHDは誤診が多く、本人はASDだと思っていてもADHDだったり、その逆だったりと中々難しい臨床現場の様子が垣間見えた。そして臨床現場での実例である。岩波先生の治療方法として特筆して印象に残ったことは薬による治療をあまりしないこと、日々の生活の中で課題を与えて回復へ持っていくこと、そして精神病の特性をメリットとも解釈することであった。ADHDは投薬することもあるらしいが、話の中で全くといっていいほど投薬の話が出なかった。日本の精神病治療は昔から安定剤の過剰投与が問題とされていたが、そこからの脱却を目指しているのが伝わった。また、虚脱感に襲われている患者に対しては簡単な課題から与え、長いスパンで達成感を得られるような工夫をしていた。そして、ADHDの人の関係のないことを空想してしまい集中散漫になってしまう特性に対しては、逆にフレキシブルな意見が浮かぶメリットも提示するなど、その特性を長所とも捉えられることを伝える気遣いが見られた。精神病は治った治っていないの境界や、この人は精神病かそうでないかの境界が曖昧で難しいが、だからこそ患者としっかり向き合うことの大切さが伝わった。

 

初めてこうした権威のある学士会に参加してきた。結構面白い、というかかなり貴重な体験となった。学会の発表が今後あったら積極的に行こうと思う。あと、くれぐれもラフな格好で行かないように。ちゃんとスーツを着ていきましょう。